1組目の双子妊娠で、27週の時に突然入院になってしまい、入院生活と32週で出産になるまでのお話をしたいと思います。
突然の「入院です」から始まった双子妊娠の後半戦
1組目の双子妊娠で、27週の健診の時に突然「今日から入院です」と告げられました。
それまで順調と思っていた妊娠生活が、一気に“切迫早産との闘い”に変わりました。
そこから出産までの約5週間、
点滴と安静の入院生活が始まりました。
絶対安静&点滴生活。痛みとの闘いの日々
入院中はお腹の張りを抑えるための薬を点滴でずっと投与。
でも私には体質的に合わなかったようで、腕が腫れて痛みも強く、
1日に3回も点滴を刺し直す日もありました。
刺す場所がなくなって、最終的にはカテーテルを入れることに。
「手術じゃないから大丈夫」と先生は言ってくれたけど、すっごく怖くて!!
でも、思ったより痛みはなく、処置もすぐに終わり
点滴の刺し直しと腕の腫れからは解放されました。
痛みもつらいけど、絶対安静で動けない時間の長さも本当にしんどかったです。
自覚症状もなく体は元気なのに、ベッドからほとんど動けない。
同じ大部屋のママたちと、
「次のごはん何かな〜?」なんて話すのが唯一の楽しみ。
小さなことに笑ったり励まし合ったり、あの時間は戦友のような存在でした。
本当の意味で「安静の大切さ」に気づいたのは入院してから
入院してからも最初は「ちょっとくらい歩いても大丈夫でしょ」と思って動いてしまい、
看護師さんに注意されたこともありました。
入院してからは張り止めの薬を投与していたこともあり、
切迫早産の目安になる子宮頚管の長さはある程度キープされていたんですが、
やっぱり週を追うごとにどんどん短くなって。
その時やっと気づきました。
「本当に安静にしなきゃダメなんだ」と。
今なら分かるんですが、当時は分かっていませんでした。
お医者さんや周りの方も言ってくれていたんだと思いますが、
言葉で頭に入ってきているだけで、それが自分ごとに置き換えられていなくて。
他人ごとのように感じて、どこか自分は大丈夫と思い込み過ごしてしまっていたんです。
入院せずに過ごすのも本当に大変!!
双子妊娠の方でも、たまに入院せずに36週まで双子のお腹を抱えて
自宅で過ごしている方もいるけれど、本当に大変だと思います。
入院したら身の回りのことをしてもらえるけれど、自宅にいるとどんなに家族の協力があっても、
ちょっとした家事や、上の子がいると育児もあるし、相当大変な自宅の生活を送ってただろうなと思います。
私の場合、お腹はそこまで大きくならなかったタイプ。
32週で出産した時も、赤ちゃん2人合わせて約3000gほどだったので。

友達には「10メートル歩くのにも手すりが必要だった」という方もいて、
妊娠の負担って本当に人それぞれなんだと実感しました。
32週で出産を決断するまで
入院して約1ヶ月。双子の妹の成長が止まってしまったんです。
2〜3週間ほど大きさが変わらず、体重は推定わずか1200gほど。
「このままお腹にいるより、外の方が安全に育てられる」と先生に言われました。
早く出産した方がいいと頭では分かっていても、
1日でも長くお腹で育ててあげたかった。
目標は36週って気合いを入れて、長い入院生活も前向きに頑張ってきたから。
早く生むことになったことをなかなか受け入れられなくて。
悔しくて、悲しくて、とにかく2人が心配で、
こんなに早く産んでしまって何があるかわからない。
まだお腹で育てたい。
とお医者さんにお願いもしました。
ただ、私自身の血液検査の結果も悪化し、妊娠高血圧症候群の兆候が出てきていました。
母体にも危険が迫っていたため、これが最善なんだと言い聞かせ、32週での出産が決定しました。
小さな命との出会い
32週、帝王切開で出産。
双子の兄は約1593g、双子の妹は約1152g。
2人合わせても3000gに届かない、
とても小さな双子でした。
お腹の中ではずっと下で妹のことを支えてくれていた兄。
いつもお腹の下の方でどーんと場所を陣取ってて
妹を上に追いやっていると思っていたのですが、
助産師さんが
「下の子の方が辛くて大変なんだよ。お兄ちゃん頑張ってくれてるね」
って教えてくれて感動しました。

妹は皮膚が透けるほど細く、まるで小さなひな鳥のよう。
片手におさまるようなサイズでした。
お腹の中で苦しい時もきっとあったよね。
ここまで頑張ってくれてありがとう。

お腹から出てきた時に、大きな泣き声が聞こえて
保育器の中だったけど、対面させてもらえて
手を握ったら握り返してくれて、とにかく嬉しくてたまらなかった。
とっても小さいはずなのに、とってもたくましくて。
2人を見た瞬間、安心して2人の生命力を信じようって思えました。
出産直後はもちろん抱っこもできず、2人とも保育器の中で過ごす日々。
その時は私の命をあげてでもいいから、
なんとか2人が生きててほしいっていうことだけをずっと保育機の前で願っていました。
コロナ禍での出産。支えになったのは家族の「信じる気持ち」
当時はちょうどコロナ禍。
赤ちゃんに面会できるのは母親だけで、
家族は直接会うことができませんでした。
みんな心配だったはずなのに、
誰も「大丈夫?」と不安を口にしなかった。
「当たり前に大丈夫だと思っている」
そう信じられたからこそ、
私のメンタルは保たれていたと思います。

次回は約2か月間のNICUでの生活についてお届けします✨


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